iriya_ufo’s blog

Curiosity was simply the first derivative of knowledge.

History of T 第3,4,5パラグラフ

History of T の翻訳の続きです。
一部改編しました(改編部分は赤文字で)

第3パラグラフ
JonathanはYaleを離れて少しの間 MIT で働いていた。*1
32ビットのアドレス空間(そのころはとても大きいアドレス空間だったんだ)を持ったマシーンが
登場する、というものすごいことが起こった。
AIコミュニティーの中でたくさんのわくわくするような言語技術が
PDP-11(16ビットのマシーンだ)上で開発され、さらに重要なことに
実用に耐えうるPDP-10とPDP-20でも同じだった。
私は PDP-10 が好きだったということも付け足しておこう。
それには巨大な型をメモリ空間のページ上に転写することができるすばらしい命令セットがあった。*2
そのISAはハッカーの夢だったんだ。君はそれであらゆる種類の面白いゲームをプレイすることができたのだ。
例えば、有名なハックとして以下のような手段が備えつけられてあった。

  • 1 フリーリストから cons セルを取り出すこと
  • 2 フリーリストを更新すること
  • 3 1命令の中でフリーリストをGCに使い果たしたら分岐すること

PDP-10は18ビットを言語アドレス空間に持つ36ビットマシーンだった。
これが意味している大切なことは cons セルが1つのワードに適したものである、ということだ。
PDP-10が世界最初のLispマシーンであるという多くの人の主張に私も同感する。

第4パラグラフ
PDP-10用に最適化されたかなりすぐれたLisp実装が数多くあった。
1つは "East Coast" (MITのMaclisp) であり、
もう1つは "West Coast" (スタンフォードとXeroxPARCのInterlisp) であった。
そしてCMU(カーネギーメロン大学)から出た、Blissと呼ばれるCライクな言語で美しくプログラムを書くこともできたんだ。
私はCを見て、Blissを思いだし、思わず泣いたものだった。

第5パラグラフ
しかしPDP-10の18ビットアドレス空間の問題は限界ぎりぎりまできた。
プログラマーがそこまでさせてしまったのだ。
VaxとMotorola 68000がSunとApolloワークステーションに現れ始めた頃にDECが乗り出してきた。
その時 32ビットアドレス空間を持つアーキテクチャーの出現という不連続的に起こるテクノロジーの進歩を感じた。
そしてそれらのマシーンでの言語実装も同様に不連続な変化を起こすのだった。
例えば、巨大なアドレス空間を持つことによって、
君は君のしたいようにGC技術とデータの表現を根本から変えることができたんだ。

ミニあとがき
ほとんど原文の内容が分かりません。これって結構前の話なんですよね?
うーん。困った。ということで今回の訳は怪しい箇所がたっぷりです。すみません。

*1:いきなりここんとこの構文が解せない

*2:原文の意味が分からない