History of T 序文〜第1,2パラグラフ
History of T を訳します。
訳し方のスタイル
- 原文を読む
- 内容を理解する
- 粗訳する
- Shiroさん風訳に近づける
僕の場合、内容を理解するという時点で無理が発生しそうですが。><
まぁがんばります。
序文
T は今までのLisp方言には少なかった、標準で簡潔なデザインを持った
Lisp実装のうちの1つである。ここでOlin Shiversが T の歴史について振り返る。
第1パラグラフ
1981年〜1982年頃、Roger Schank率いるYale大学のAIグループは研究プログラミングを
新しいLispで実装するために大学生のJonathan Reesを雇った。
Jonathanに私そしてDan Weld(現ワシントン大学教授)は初のSchemeコンパイラであるRabbitに関する
Guy steeleの重要な修士論文を発見した。そしてそれには初期のSussman、Steeleのλに関する論文の内容も含まれていた。
その頃Danは大学4年生でJonathanと私は2年生であった。
部門の中心人物であったAlan Perlisは関数プログラミングを発見しHope、Miranda、Schemeといった
初期の関数プログラミングを含む大学院ゼミを行っていたんだ。
私たち3人はその大学院ゼミで出会い毎日をだらだらと過ごしていた。*1
第2パラグラフ
Common Lispは存在せず(努力は続けられていたが)MIT Schemeも存在しないといった状況だったので
SchemeというのはAIラボ研究所のレポートとか修士論文とかそういう類のものだと思われていたんだ。
でも私たちはそれは想像を越えるような小さな結晶だと思っていた。*2
動的スコープ言語の実装を最適にコンパイルするための多大な経験がLispコミュニティーにあったために、
「静的スコープは理論的には興味深いが実装するには能率が悪い。動的スコープこそが最適な選択だ。」
という意見がその当時広く支持されていた。
私は冗談を言っているのではないんだよ。例として2人の人物を挙げておこう。
それぞれ違った状況ではあったが、私はこのことをRichard Stallman*3と
Richard Fateman*4から聞いたんだ。
私はリチャード・M・ストールマンにemacs lispはなぜ動的スコープなのか、と尋ねた。
彼の返事は、静的スコープは能率が悪すぎるからだ、というシンプルなものだった。
だからこそ私の重要な点はここにあったんだ。
Lisp実装のエキスパート集団の人達でさえ、1982年には(実際は4年後までであるが)
Schemeは根本的に全くもって受け付けられない考えだった。しかもLisp/AIコミュニティーの外部でさえ
ガベコレを持った言語なんていうのは相手にもされなかった。
(今のperlやJavaの時代とは違ってた。perlのおかげで何十億ドルものサービスが
ガベコレを持った言語で世界に広まっていったんだ。これは誇張表現なんかじゃないよ。)
ミニあとがき
翻訳って難しいです。特に僕自信が専門知識に関してほとんど分かっていないので
そこがネックになってます。いろいろと勉強することは多いですねぇ。
次回は第3,4,5,6パラグラフくらいまで書きたいと思ってます。